お茶のラベルに載り損ねた介護俳句。もし母が読んでいたら…
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第二十七回
■介護は貧乏クジじゃない
両親の介護を始めた頃、親戚のおじさんに言われて胸に残っている言葉がある。
「おまえが一番大変だな。でも、貧乏クジを引いたなんて、思わないでくれよ」
介護をするのは、貧乏クジを引くようなもの。世間にはそんなイメージが確かにあるのだと思う。
でも、実際に親の介護をしてみたら、そうは思わなかった。貧乏クジどころか、これはもしかしたら当たりクジなのではないか。
ひとりでは食事もできなくなってしまった母親に、毎日ご飯を食べさせてあげる。どんどん赤ちゃんみたいに、幼く、かわいらしくなっていく母親の姿に接しながら、これは全然、貧乏クジなんかじゃないよね、よその家庭はもっとハードなのかも知れないけど、少なくともうちは過酷な苦行なんかじゃない。そんなふうに感じた気持ちを、ひねらずに五・七・五に押し込んだ。
読み返してみると、「クジ」という言葉は介護に適切ではないだろうとか、情緒がなさすぎて才能なしですとか、作品のデキに不満はあったが、しょせんは素人のお遊びである。
結局、この俳句もどきは最終選考を突破できず、連絡はそれっきりなかった。おーい、残念。
そもそも最終選考に残ることがどのくらい惜しいのか、日本中で何千人、何万人が同じ通知を受け取っているのか。こんな場所で落選作品を披露して、自己満足の解説をつけたところでお茶の一杯ももらえない。
ただ、今でも少し残念なのは、この介護俳句もどきを母に見せるチャンスがなかったことだ。
もし本当にペットボトルのラベルに記されていたら、その時は母に見せて、驚かせてあげようと企んでいたのに。
母がこの句を読んだら、どんな反応をしただろうか。自分が「赤子」扱いされたと知ったら、母は怒っただろうか、それとも笑って許してくれただろうか。
うーん、やっぱり読ませなくて正解だったのかな。
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